魂は夢をみる

全ては夢、幻のごとく

愛と引きかえ

この物質世界ではただ「愛している」

 

というだけでは信じても、認めてももらえませんね。

愛の証明を迫られます。

愛のために何が出来るのか?どこまで出来るのかを問われます。

 

でもそういう事なんでしょうか?

これではまるで契約ではありませんか?

 

違うと思うなぁ。

人は生きねばならないのか?

僕は人は生きねばならない、とは思っていません。

 

そもそも「せねばならない」のが苦手でね。

 

それこそもともとは好きな事でも、義務や使命になってしまったら、

 

うんざりと言うか、イヤになってしまうんですよね。

 

ゆえに基本的には生きなくてもよいし、何かをせねばならないとも思っていません。

 

働かざるもの食うべからず、なんて刷り込みもクソ食らえです。

 

みなさん、自由な魂でいましょうね。

自殺しない理由

僕が自殺しない理由のひとつに、

 

死が終わりとは限らない・・・・

 

というのがあります。

 

死が存在の終わりでないのなら、自殺に意味はないでしょ?

 

個人的には「無」が理想ですがね。

 

でも本能的には、死で存在は終わらないと感じています。

 

僕が間違っていることを願ってます。

調和

実は先日、ある瞬間に「調和」を見い出せた感覚を掴んだのですが・・・・

 

数分で失われてしまいました。

 

あの中に留まれれば、ずっといい気分でいられるのですが・・・・

 

まぁ難しいですよね。ここでは。

 

一方では、あの感覚に留まり続ければ、もはや山奥で仙人みたいに生きるしかなくなるかも。

 

 

それどころじゃない

真夏は自殺する人が減るんじゃないかと思います。

確かなデータを見たことはありませんが、やはり春が多いのではないでしょうか?

 

それに関しては季節、気候というよりも、学校や会社のサイクルの問題でしょうがね。

 

真夏は暑すぎて自殺ムードにはならんでしょ。

 

 

向こう側

悲惨な事件を見聞きすると、いつも思います。

死の向こう側にせめて安らぎがありますようにと。

 

もちろん完全なゼロ、というのも悪くはありませんが、

 

おそらく魂というか、存在の核というか

 

何かは残ると思うんですよね。

 

個人的にはゼロが理想ですが、そうはいかないでしょう。

 

これは誰に教わることもありません。

 

何となくですが知っているんですよね、本能的に。

 

どんな死に方をしようがその先には完全なOKが待っている

 

そう思いたいです。