魂は夢をみる

全ては夢、幻のごとく

気が狂うか自殺するか・・・

気が狂うか?自殺するか?・・・

 

それしか方法はないように思える時があります。

実は先日もその波が押し寄せてきましてね。

こういう時にはやりようもないんですが・・・・

 

ひとつ僕には救いがありましてね。

ちょっとした作品づくりをしてるんですが、

その間は「現実」を忘れられるというか、死ぬ前にこれだけは仕上げようと思えるというか。

まぁ目くらましですよね。

でも有効です。

 

いや、それどこか目くらまし最高。

自殺

夏休み明けは、子供たちの自殺が増えるらしいですね。

 

僕にはやみくもに自殺志願者を止めることは出来ません。

もっとも本当に自殺したいという人間を止める事は誰にも出来ないでしょうが。

 

理由なく自殺するする人はいないでしょうから、無責任に「死ぬな!生きろ!」とは僕には言えません。

 

それでも子供たちに関しては、止めたいですね。

理由はありません。ただ止めたいなと。

 

せめて大人になるまではガマンしろと言いたいですね。

自殺しても開放されるとは限らないのだぞと言いたいです。

もちろん根本的な解決方法としては世界が変わるのがベストですよ。

 

子供たちが死を選ぶような世界に生きているなんて・・・・頭がグラグラしてきますよね。

 

向き不向き

向き不向きで言うならば・・・・

ハッキリ言って僕は「この世界で生きる」ことには向いていません。

 

間違いありません。

何なら「生きる」事自体に向いていないのかもしれません。

 

他の世界、他の文明や他の惑星でならうまく生きれたかもしれませんが、

どうでしょうね。

 

 

 

少なくともここでは、僕は何もかもに向いていません。

やまいった・・・・。

 

愛と引きかえ

この物質世界ではただ「愛している」

 

というだけでは信じても、認めてももらえませんね。

愛の証明を迫られます。

愛のために何が出来るのか?どこまで出来るのかを問われます。

 

でもそういう事なんでしょうか?

これではまるで契約ではありませんか?

 

違うと思うなぁ。

奇跡はいつも

僕は知ってますよ。

奇跡はいつも、どこででも起こっています。

 

人は「自分にとってとてつもなく都合が良い事」しか奇跡と認定しない傾向があります。

 

ゆえに見えないのでしょうね。

 

 

 

 

 

人は生きねばならないのか?

僕は人は生きねばならない、とは思っていません。

 

そもそも「せねばならない」のが苦手でね。

 

それこそもともとは好きな事でも、義務や使命になってしまったら、

 

うんざりと言うか、イヤになってしまうんですよね。

 

ゆえに基本的には生きなくてもよいし、何かをせねばならないとも思っていません。

 

働かざるもの食うべからず、なんて刷り込みもクソ食らえです。

 

みなさん、自由な魂でいましょうね。